全長1mmの線虫、C. elegansによるがん検査が2020年から実用化されるらしいというニュースを、聞いたことがある人もいるかも知れません。ニュースで報道されていたものよりもう少し詳しく知りたいよという人向けですが、初めて聞いたよという人でも十分に理解できる内容になっていると思います。
前置き
専門は神経科学とはいえ、モデル生物として線虫を使い、かつ癌研究所に身を置く人間としては *1 見逃せないニュースだったので記事にさせて頂きました。注意を払って正確な情報と自分なりのフェアな分析をお伝えするつもりですが、間違いがある場合もあります。コメント等でご指摘頂ければ順次対応します。
線虫って何?
過去記事でどうして研究に使われるのか解説してます
そんなん読むのがめんどくさい人向けに短く
簡単に特徴を挙げると、
- 全長1mmで体が透明
- 雌雄同体がほとんど、つまり子どもは親のクローン
- ライフサイクルが三日程度
- 寄生はしない
といったところでしょうか。これらの特徴が管理が簡単でかつ安いという線虫の大きな利点の1つを生み出しているのです。
どうやって線虫でがん検査するのか
線虫は匂いに動きで反応する
線虫は化学走性という行動を示します。早い話が、匂いの種類によって近寄ったり、離れたりするというということです。線虫には目が無く、温度と匂いが動きを決める際に重要になることもあって匂いを受け取る受容体を1,200種持っていると言われています。*2 人の400種、犬の800種を大きく上回る種類の多さです。
線虫はがんの匂いも感じ取れる
線虫はがん患者の尿には引き寄せられ、健常者の尿からは遠ざかるという性質を持つことが明らかになりました。実は線虫だけでは無く、犬も嗅ぎ分けられることがわかっていましたが、犬の場合はトレーニングが必要です。それに対して線虫は何のトレーニングもすることなく、動きにがんを察知しているかどうか現れます。その上犬より管理も簡単で安価です。
尿を一滴と線虫50匹で検査する
採取した尿を10倍に薄めて、そのうち0.001mLをプレートの隅に垂らして、プレート中央に50匹線虫を置くという実験方式。これをしばらく放置して、尿が垂らされた方へ線虫が行けばがんの可能性が高く、行かなければがんの可能性が低いという診断になるようです。
安価な一次スクリーニング法として期待される
他の検査方法に比べて安価で、簡易なこの「N-NOSE」と開発元であるHIROTSUバイオサイエンスが命名した手法はがん検査の一次スクリーニングとして期待されているようです。この検査の特徴とされる性質の1つに初期段階のがんも発見しやすいという点があります。*3 この性質を生かして、最初に「N-NOSE」で検査して、陽性を示した人をさらに精密検査にかけるという流れを目指しているというわけです。
こういう努力によってがんの早期発見が増えれば素晴らしいですね。
問題や課題はないのか?
概要だけだと素晴らしい手法で何の問題もなさそうに聞こえますが、タイトルにpeer reviewとつけていることですし、あえて厳しい目で見てみようと思います。私個人の意見ですが、いくつか気になるところを挙げてみました。素人、でもないのである程度は的を射ているはず...ですが至らない部分もあるかと思うので、ひよっこの意見として読んでいただければ幸いです。
線虫が何に引き寄せられているのかわからない
最も大きな課題はこれかと思います。線虫が反応するということは明らかになりましたが、具体的に何の化学物質に反応しているのかが全く分かっていません。逆に言えば何の物質に反応しているか突き止めることができれば、線虫を使わずにその物質を直接検出する方法が効果的ということになる可能性もあるわけです。
線虫のシステムを使ってどんな化学物質ががん患者の尿から出ているか探るのは有効だと思います。PLOS ONEの論文はその線を押したようなところもあるようです。
10倍に尿を薄めるという根拠が弱い
「N-NOSE」では10倍に薄めた尿をサンプルとして使いますが、薄めるのが10倍なのはそれが上手くいって原液をそのまま上手く使う方法が上手く行かなかったからです。本当にどんな患者、尿であっても10倍でいいのかどうかは分かっていません。濃い尿や薄い尿でも等しく10倍稀釈でいいのか?どんな人種でも10倍希釈でいいのか?どんな年齢でも10倍希釈でいいのか?などの疑問の答えは欲しいところではないでしょうか。
それらが明らかになれば特定の食事や水分補給を患者にさせることでテストの精度を上げることが可能になるかもしれません。
再現性のテストも欲しい
上記の点とも被ってきますが、実験方法を見ると各患者の尿サンプルは一度しか採取されていないようです。検査の正確性をより確実に評価するためには同じ患者の尿を別日に採取して線虫がどれくらい同じ反応を示すか調べる必要もあるのではないでしょうか。
ほぼ同じ反応なら検査するのは一度でいいでしょうし、かなりばらつくようなら実用化の際に再検査のハードルを下げる等の対策を考える必要があると思います。論文を見たところ同じサンプルを何回も検査するという段階でそこそこなばらつきがあるようです。
実用化はすべき
少々厳しめに書きましたが、実用化に反対なのかと言われれば賛成です。現時点で他に優れた方法があるわけでもなく、またこの方法は検査される側に何のリスクもありませんから、順次導入するべきだと思います。現段階で完成されているとは言えませんが、上で挙げた課題の中には大量のスクリーニングをすることで解決する部分もあるでしょう。
はりねずみ的にまとめると
開発者本人が書いている本があります。気になった人は読んでみてはどうでしょうか。
参考文献
Hirotsu, T., Sonoda, H., Uozumi, T., Shinden, Y., Mimori, K., Maehara, Y., … Hamakawa, M.(2015). A highly accurate inclusive cancer screening test using Caenorhabditis elegans scent detection. PLoS ONE, 10(3), 1–15. https://doi.org/10.1371/journal.pone.0118699