Neurohog Reports

日米英で学校を卒業して、それぞれの大学・研究・テニス・海外生活について記事と漫画にしています。

遺伝学・神経生物学・発生学研究で無双する「線虫」の凄さとは【C. elegans/モデル生物】

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生物学専攻の人なら一度はC. elegans(シー・エレガンス)*1 を聞いたことがあるのではないでしょうか。逆に一般的にはほぼ皆無と言って良い知名度を誇るこのC. elegans。実は研究の世界では重宝される存在なのです。

 

 

 

前置き

私は現在所属している研究室でC. elegansを使って神経生物学の研究をしています。この研究室に所属して3年になるので、もう3年C. elegansと一緒に研究していることになるわけです。研究のけの字も知らない頃からとはいえ3年もいるとC. elegansの良さ、有用さがわかるものです。この記事ではどうしてちっちゃい虫なんて使って研究する人たちがいるのかを皆さんに納得してもらうことを目標にしたいと思います。

 

そもそもC. elegansってなんだ

姿形は寄生虫風

C. elegansは日本語では「線虫」と呼ばれていますが、*2 その名の通り細い線のような体をしていて、全長は1mm程度しかありません。この記事のトップにある画像が線虫です。もちろん自然な状態で光っているのではなく、特殊な顕微鏡を使って撮影されたものですが、形はこの通り寄生虫っぽさにあふれています。

 

自然界では腐った果物の中などに生息

寄生虫っぽい見た目ではありますが、ご安心ください。C. elegansは自由性生活、つまり研究してたら寄生されるなんてことはありません。自然界では実は見つけるのが難しいと言われていて、逆に庭や生ごみ処分場でよく採取されるらしいです。*3 

 

なぜ研究で使われているのか

まずモデル生物ってなんだ

研究の世界では人間でするには難しいような実験を、似たような仕組みを持つ生物で行うことが多くあります。共通の古代の先祖がいるわけですから、意外と虫でも人に似たシステムを持っているのです。この時使われる生物が「モデル生物」と呼ばれます。マウスやショウジョウバエなんかが有名ですね。遺伝学のメンデルのように植物を使う可能性もあります。

 

シドニー・ブレナーが使うって言ったから

私の専門の神経生物学以外にも、遺伝学や発生学など様々な分野でC. elegansはモデル生物として使われています。しかし元を辿ればのちのノーベル賞受賞者でもあるシドニー・ブレナー(Sydney Brenner)がみんなでこの便利なモデルを使おうと声をかけたのがきっかけです。*4 今あるC. elegansの研究室は師匠筋を辿ると彼に行き着くとかなんとか。

 

ライフサイクルが三日だから

C. elegansは生まれてから卵を産むまで三日のサイクルを繰り返します。これはモデル生物として強力な利点で、数も簡単に増やせますし、実験を短期間に大量に行うことができます。その代わり週末気をつけておかないと、二日放っておいたら餌不足で不健康状態になったりもします。

 

管理がめっちゃ簡単だから

C. elegansは通常、OP50という餌を敷いた60mmのNGMプレート上で飼われます。やることはこのプレートの上に置くだけです。あとは放置です。三匹ぐらい置いておくと3〜4日後増えているので、またそこから三匹新しいプレートに置いて残りは捨てます。それだけです。しかもプレートのサイズが60mmですから全く場所をとりません。

さらにC. elegansはそのほとんどが雌雄同体です。つまり子供は全員親のクローンが生まれてくるのです。難しい管理はほぼ不要なのです。

 

神経生物学で重宝される理由

意外と神経細胞が人に似てるから

驚く方も多いかも知れませんが、C. elegansの神経細胞は人のそれと共通する点がいくつもあります。Synaptic Vesicle FusionやNeuron-Glia signaling、Dense Core Vesicle Formationなど、とにかく人間と近い仕組みを使って行われる神経の活動は多々あるのです。もちろん人間と違う点も多くあります。

 

全員神経の数が同じ302個だから

人間は人それぞれ脳細胞の数が違いますが、C. elegansでは決まって302個。あの子もこの子も302個です。しかもその302個にはひとつひとつ名前が付いていて、神経同士の繋がりがマップ、Connectomeとして公開されています。*5 シナプスの数や位置まで電子顕微鏡のデータから再構築されているのです。*6 実験するには非常に便利です。

 

遺伝子操作が簡単だから

子供がみんな親のクローンであることは説明しましたが、親の生殖腺にDNAを打ち込むとそれだけで子供の一定数が注射された遺伝子を持って生まれてきます。CRISPR-Cas9も一緒に入れておけば安定した遺伝組換えC. elegansが一週間ちょっとで作り出せるのです。ゲノムが最初に全解析された生物であることもあり、各細胞のプロモーターが明らかにされており、組み合わせることで*7 好きな神経細胞に好きな遺伝子を送り込むことができるのです。*8 他のモデル生物を使っている人からすれば喉から手が出る案件でしょう。

 

体が透明で顕微鏡と相性が良い

C. elegansの体は小さいだけでなく、透明です。それゆえに切ったり殺したりすることなく、顕微鏡によってイメージングすることができます。また光遺伝学(Optogenetics)という光によって神経細胞の活動をコントロールする手法も、特別な装置なしでスライドの上のC. elegansに光をあてるだけで使うことが可能です。またホールブレインイメージングと呼ばれる、全神経細胞同時観測も自由に動き回っている状態で可能なので、実に多様な条件で厳密な測定ができるのです。

 

もちろんできないこともあるが一考の価値有り

どうですか?ここまで読んだらあなたもC. elegansが使いたくなってきたんじゃないでしょうか。C. elegansは確かに素晴らしいモデル生物ではありますが、他のモデル生物が駆逐されないのには理由があります。まず、C. elegansは医学系のモデルには使いにくいです。人と同じような症状は出ないからですね。自閉症のC. elegansは存在しないのです。またC. elegansには存在しない脳機関も多くあります。海馬や、小脳などは哺乳類のモデル生物でなければ研究するのが難しく、ほとんど困難と言っても良いでしょう。総じて、認知神経科学系の研究にはC. elegansは使いにくい、もしくはほぼ使えません。

しかし、神経生物学系の研究においてはC. elegansは強力なツールになります。日本にも名古屋大学の森先生や東京大学の飯野先生をはじめとして素晴らしいC. elegansを扱う研究室が多々あります。調べてみれば自分の興味と合った研究が強力なツールを使ってできる可能性が見えてくるかも知れません。

 

ちなみにこのブログ記事のサムネイル画像は私が作成した遺伝子組み換えC. elegansで、AFDという神経細胞1つだけに蛍光タンパク質を発現させて光らせているものです。*9 かんたんにこのような芸当ができるモデル生物ですから今後の活躍も期待したいですね。

 

はりねずみ的にまとめると...

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*1:正式な学名はCaenorhabditis elegans(カエノラブディティス・エレガンス)。C. elegansで研究して3年ですが今だに最初の部分はちゃんと書けません。

*2:C. elegansは学名なので、本来線虫というとRoundworm/Nematodeを指すことになりますが、線虫といえば大体C. elegansのことを言っていると思って良いと思います。

*3:自然界のC. elegansの生態は実はよく分かっていないのです。モデル生物として採用するのに大事な気もしますが、見つからないんじゃしょうがない。

*4:シドニー・ブレナー氏は晩年にOISTの理事長も務めていらっしゃいました。

*5:https://wormwiring.org

*6:個体差については多々説があるようですが、まあだいたい一緒だろというところで理解されているようです。私の実体験的にもそう見えます。

*7:Gateway Cloningなんてすれば一発ですね。

*8:正確には全細胞にDNA自体は送り込まれているので、「Express/発現」ですね。

*9:黄色く見えるのがAFDです。