みなさん寝ている間に夢を「見る」と思います。何かに追いかけられたり、何かから落ちたり。しかし寝ているということは目を閉じているということですから(たまに目開けたまま寝る人いますけど)、夢を見える景色は頭の中で作られた景色なわけです。では元々目が見えない人ではどうでしょう?実は目の見えない人でも夢では「見える」という論文が発表されています。
夢そのものは誰でもみる
生まれつき目が見えなくても夢をみる
みなさんが夢を見る時、それはほぼ確実に映像で見えると思います。そのこともあって、大昔は目の見えない人、つまり盲目の人は夢を見ないと考えられていました。しかしJ. Jastrow (1990)やE.D. Deutsch (1928)の反論と論文によって、今では盲目の人でも夢をみるとされています。
大人になってから目が見えなくなったりした人が夢で見えるのは、正直当然と言ったところでしょう。しかし、C. Hurovits (1999)の研究*1 などでは見る夢の数は少ないものの、生まれつき目の見えない人でも夢をみていることが報告されています。
音だけの夢もある
さらに、C. Hurovits (1999)の研究では生まれつき目の見えない人や、5〜7歳までに視力を失った人では音や感触だけの夢をみるという報告がなされています。あまり意識したことがない人が多いかもしれませんが、普通の視力の人が夢を見る際、ほぼ100%で映像あり、40~60%で音あり、15~30%で感触ありと、夢だからと言って全ての感覚があるとは限らないのです。*2 最もレアな感覚は味覚で、夢の1%にしか登場しないとされています。次の夢では意識して見ると面白いかもしれませんね。
盲目の人は悪夢が多いらしい
感覚だけでなく、夢の中身も違うことがあるようで、A Meaidi (2014)らの研究では生まれつき目の見えない人はそうでない人たちに比べて悪夢を見る可能性が高いようです。*3 標準偏差がアホみたいに大きいようなので、人によるということかもしれませんが、そりゃあ悪夢を見ないような人もいるわけなので仕方がない気もします。ちなみに普通の視力の人は悪夢率6%で、生まれつき見えない人は25%。大きくも見えますが、正直これは悪夢の定義も難しい上に見えてる夢の感覚も夢の数も違うのでふーん程度に受け取るのが良いでしょう。
生まれつき目の見えない人でも夢は「見える」?
見えるとする論文もある
ほとんどの夢に関する論文が完全に生まれた時から目が見えない人は視覚的な夢は見ないことを報告しています。しかし夢の研究には自己申告に頼らざるおえない部分と、人は見た夢を全部覚えているわけではないという欠点があり、本当に何を見ているかを確かめるのは困難です。多くの研究が実験に参加した人の自己申告や、見た夢の説明に使った言葉からどんな感覚があったか判定するHall-Castle法*4 を利用しています。
そんな中で異色なのがBertolo (2003)の論文です。*5 他の論文の判定法や実験法を批判しながら、結論として生まれつき目の見えない人でも夢の中で見えるとしているのです。*6
目が見えない人でも夢の絵は描ける
Bertolo (2003)はEEGと呼ばれる脳波測定装置を睡眠時に取り付けて測定する方法と、夢の内容を絵に描かせるという方法を使って実験を行いました。その結果、夢の絵の詳細さは目の見えるグループと目の見えないグループで差がないことと、夢の絵が詳しければ詳しいほど減る脳波が両方のグループで同じように観測されたとしています。*7 つまり、Bertolo (2003)は生まれつき目の見えない人でも夢の内容をVisualize(思い浮かべ、視覚化)することができる、しているという主張をしたのです。
そもそも「見える」とはなんだろう?
目に見える世界と実際の世界は違う
ここで引っかかるのがそもそも「見える」とはどういうことなのだろうかということでしょう。まずここで理解しておきたいのは、目で見える世界と実際の世界は違うということです。イメージしやすい例で説明しましょう。目の悪い人が見える世界を想像してください。目の悪い人たちには世界がぼんやりとして見えますが、実際の世界はぼんやりしていませんよね?ピンと来なければ、目の錯覚を考えてみてください。実際には同じ長さの棒なのにどっちかが長く見える錯覚とか。目で「見えているもの」は実際の世界をそのまま捉えているわけではないのです。
感覚は世界のモデルを自分の中に作っている
視覚にしろ、聴覚にしろ、触覚にしろ、感覚は実際の世界のモデルを自分の中、つまり頭の中に作り上げるのに貢献しています。ボールだったら視覚から「形と色」、触覚から「材質と重さ」など、感覚からの情報を脳の中で組み合わせて実際にそこにあるボールのイメージをより正確なものにする作業が行われているのです。
目が見えないからといってボールがどのようなものかわからないということはありませんよね?視覚のない人でもこの作業はもちろん行われているのです。そう考えると、目の見えない人でもボール描いてと言われればボールが描けるのは当然ではないでしょうか。これ以上は脱線が過ぎるので、この脳に作られる内部モデルや盲視なんかに関してはまた別の記事で詳しく取り上げたいと思います。
「イメージできる」と視覚的に「見える」は違う
前述の通り、視覚1つがなくなっても脳にイメージを作り上げることは可能です。そうなると、脳内のイメージで見えるのが夢ですから、目の見えない人が夢を描けるのは当然なのではないでしょうか。また、イメージをするのに使う部分の脳の活動が目が見える人目が見えない人で似るのも至極当然だと私は思います。
Bertolo (2003)の論文は、目が見えなくてもイメージできるという当然なことを普通に示した論文と言えるのではないでしょうか。しかし、当然に思えることをしっかり実証するのが科学でもあります。少々結論で大袈裟に先行研究と違うことをアピールした感は否めませんが、本質的には実験結果は他の研究と矛盾することは示していないように感じました。イメージできるということと視覚的に見えるということの区別はトリッキーですが、確かに違うものだと私は思います。
はりねずみ的にまとめると
目の見えない人がどういう風に世界が見えているのか興味が湧いたという人にはこの本をおすすめします。実際に視覚障害者との対話を元にして書かれている本です。
参考文献
Hurovitz et al.: Dreams of the Blind
Prevalence of auditory, olfactory, and gustatory experiences in home dreams. - PubMed - NCBI